即身成仏の秘奥に迫る歴史小説
真言密教から空海の「即身成仏」をとり除いたら、真言密教は成り立たない。
「即身成仏」こそ、空海の頂点であり、すべてである。
空海が実現した即身成仏とはなにか?
密教誕生前夜の秘密にせまる。
書籍情報
著者・桐山靖雄
2006年2月1日新装丁版発行(1976年11月1日発行)
定価2,000円(税別)
平河出版社
口コミ
小説仕立てなので、読みやすいですが、かなり長く、また細かい字です。
興味がないと、最後まで読めないのではないかしら?と思いました。
例えば、康安が康円に「お主が“最後の最後のところで、そのアーラヤ識も、実は識の虚妄であったということになるのじゃないか”と言ったが、彼の人(空海)も“唯識は空に達するための方便だ。今度出てくる経論(大日経のこと)には必ずそうあるぞ。”と言っていたのだ。」(p.280-281)と言うと、康円は「大日経を良く読んでみればすぐ分かるじゃありませんか。はっきりアーラヤ識はあると言っている。
私だってそうですよ。康安さん、私もやはり、最後の最後のところでは、やはりアーラヤ識はあると思いますよ。アーラヤ識が本当に幻影のごとく実在していないのなら、何も満月に仏を描いたり、阿字を書いたり、それを目の前において観行する必要がなんであるんです。アーラヤ識が如幻不実だというのは、無いと言うことでは無いんです。有るんですよ、けれども不実(つまり諸行無常であり諸法無我であること)なんだ。」
ところで空海と言えば、『三教指帰』に自分の修行体験を次のように述べている。「ここに一の沙門あり、余に虚空蔵聞持の法を呈す。その経に説くに、もし人、法によりてこの真言一百万遍を誦さば、即ち一切の教法の文義暗記することを得と。ここに大聖(仏陀)の誠言を信じて飛焔をサンスイに望む。阿〔波〕国大滝嶽に登り攀ぢ、土(州)室戸に勤念す。谷、響を惜しまず。明星来影す。」
パーリ語経典『Annapana-sati Sutta』(漢訳は雑阿含経『安那般那念経』ほか)に対するブッダダーサ比丘の講演集『Mindfulness with Breathing』を読むと、この明星とはニミッタ(仮想の像)である。Annapana-satiは4段階16ステップの修行からなり、「身体+呼吸体」に関する最初の4ステップでニミッタを描き出す修行が行われる。
さらに、最終仮想像は「ただの白い点」を観察することであると説いている。この瞑想について、A.スマナサーラ長老も「目を開けても目を閉じても常に最終仮想像が見えるのは、物質の本質である光を見る修行であるから」と述べている。
以上のように、唯識そして密教も、上座仏教の修行を理解するための新たな観点を提供したものと考えられる。
弟子達の目を通しての物語調の内容が素晴らしく心地よく腑に落ちてゆく傑作です。
宗教と政治の時代背景や、未だに愚かにも密教を大きく誤解している人が存在する理由などが頷ける内容です。
もちろん真言密教の神髄を根源から知ることが出来てお勧めです。
まるで辞典のようなケース付きで販売された理由は生涯手元に置いてける様にとの作者の自身でしょう。